ここは『信長の野望 蒼天録』の諸勢力に関するあらゆる情報を載せているページです。立派な拠点を持ちながら唯一自分でプレイすることのできない謎の勢力。あるときは侵攻の妨げになる厄介な存在で、あるときは援軍を出してくれる力強い存在。そんな諸勢力にはまだまだ知らない未知なる世界が潜んでいることでしょう。例えば、拠点でしか購入できない家宝は?産業を持っている拠点は?切支丹や高家出身の諸勢力武将にはどんな名前や苗字が用意されてあるの?「馬伏塚」ってどう読むの?これらの疑問を一挙に解消できるのが、この「諸勢力倉庫」なのです。

全諸勢力情報

番号 拠点名(読み) 所属国 代表者名 解説 産業 種別

花沢(はなざわ)砦 蝦夷 佐藤季連 中野館主・佐藤季則の子。1512年、ショヤ・コウジの蜂起で居館が襲撃され、蠣崎氏の勝山館に逃避する。その後、蠣崎氏に臣従した。   国人

七戸(しちのへ)砦 陸奥 七戸家国 南部家臣。九戸政実の乱に参加し、近隣の諸城を攻略した。のちに奥州仕置軍の攻撃を受けて敗北し降伏、処刑された。 馬:4 国人

白石(しろいし)砦 陸前 山崎彦七 伊達家臣。山崎城主。白石城は伊達氏が所有していた。のちに甘糟清長の居城になる。 馬:1 国人

赤館(あかだて)砦 磐城 上遠野藤兵衛 上遠野氏は下野守護・小山氏の一族。岩城氏と血縁をもって勢力拡大をはかった。願立流刀術や手裏剣等の武術に通じた家柄であった。   国人

駒寄(こまき)砦 岩代 河原田盛次 陸奥の豪族。駒寄城主。山内氏勝・長沼盛秀とともに伊達政宗に頑強に抵抗するが、敗れて戦死。のち河原田家は改易された。   国人

矢島(やじま)砦 羽後 大井満安 由利十二頭の頭領の一人。出陣前に八升もの大豆を食べるという八升栗毛は満安の愛馬。   国人

下館(しもだて)砦 常陸 小宅高国 宇都宮家臣。坂戸城の築城者という。下館城は水谷氏の居城であった。   国人

勝浦(かつうら)砦 上総安房 角田一明 葛崎城の築城者という。勝浦城は正木時忠の居城であった。   国人

岩櫃(いわびつ)砦 上野 斎藤憲広 上野の豪族。岩櫃城主。上杉謙信と結び、武田家臣・真田幸隆と争うが、敗れて落城し、子・憲宗とともに謙信を頼り越後に逃れた。   国人

10

津久井(つくい)砦 相模伊豆 内藤康行 北条家臣。津久井城主。津久井衆の筆頭で、千貫近くを領していた。印判状を与えるなど、内政面で主家に貢献した。   国人

11

馬伏塚(まむしづか)砦/S5〜横須賀(よこすか)砦 遠江 石谷政清 徳川家臣。泉龍寺を再建した。馬伏塚城は今川氏の拠点の一つであり、小笠原春茂が所有していた。   国人

12

赤谷山(あかたにやま)砦/S3〜郡上八幡(ぐじょうはちまん)砦 美濃 東常慶 東氏は、千葉常胤の六男・胤頼を始祖とする。常慶は子の常堯に家督を譲らず、婿・遠藤盛数に継がせたという。   国人

13

飯田(いいだ)砦 南信濃 飯島為政 飯島氏は清和源氏片切氏の支流。甲斐武田氏の配下となり、信州先方衆の一翼を担うようになる。 馬:2 国人

14

黒滝(くろたき)砦 北越後 神余親綱 上杉家臣。公家・幕府要人との折衝を担当した。御館の乱では上杉景虎を支持し、景虎死後も抗争を続けたため、謀殺された。   国人

15

穴水(あなみず)砦 能登 熊木続兼 能登畠山家臣。佐脇綱盛と共に畠山義綱を支持し、反義綱派の遊佐続光らと争った。   国人

16

柏原(かしわばら)砦 伊賀 柘植宗家 伊賀の国人領主。仁木氏と争う。天正伊賀の乱では百地丹波らが柏原城に立てこもった。   国人

17

細工所(さいくしょ)砦/S5〜園部(そのべ)砦 丹波 波々伯部光政 丹波の豪族。1566年、波多野氏らとともに松永氏を滅ぼす。細工所城は荒木氏綱の居城。   国人

18

建部山(たけべやま)砦/S6〜田辺(たなべ)砦 丹後 沼田幸兵衛 一色家臣。中山城主。1579年、細川氏に内通し、主君・義道を自害に追い込む。建部山城は一色氏の居城。   国人

19

竹田(たけだ)砦 但馬 加陽国親 但馬の国人。物部城主。山名誠豊の近臣。信長の侵攻に際して、毛利氏との和睦を説いた。   国人

20

津和野(つわの)砦 石見 周布元兼 戦国期は大内氏に従う。滅亡後は毛利氏の配下に。上月城攻めの際、元兼は吉川元春軍に属して討死している。   国人

21

矢筈山(やはずやま)砦 美作 草刈景継 戦国期、因幡・美作地方に勢力を振るった。景継は因幡の雄として、赤松氏・尼子氏と争った。   国人

22

鶴首(つるくび)砦/S3〜松山(まつやま)砦 備中 小田政清 政清は1555年、馬鞍山城を築いたという。鶴首城は1533年、三村家親が築いた。   国人

23

若山(わかやま)砦 周防長門 沼間興国 大内家臣。大内義興・義隆の二代に仕えて奉行人を務めた。隼人祐・能登少丞・能登守を称した。   国人

24

日和佐(ひわさ)砦 阿波淡路 海部友光 阿波の豪族。海部城主。湯治に向かう長宗我部元親の弟を討ったため、元親の猛攻撃を受けて敗北し、居城を捨てて逐電した。   国人

25

仏殿(ぶつでん)砦 伊予 重見孫七郎 伊予石井山城主。通次の子。1573年、大野直之の討伐軍に従軍。後に四国征伐の小早川隆景軍に降伏する。   国人

26

姫野々(ひめのの)砦 土佐 津野基高 藤原経高を始祖とする。土佐の豪族。姫野々城主。一条家と争うが敗れ、降伏して所領を安堵される。   国人

27

角牟礼(つのむれ)砦 豊後 山下長就 大友家臣。大友氏の下加判衆を務める。大内氏との戦いに参加した。天然の要害に築かれた角牟礼城は、島津軍も攻め落とすことが出来なかったという。   国人

28

黒木(くろき)砦 筑後 黒木家永 源氏の流れをくむ。猫尾城主。大友氏、次いで龍造寺氏に属す。龍造寺氏滅亡後、高橋紹運らの討伐軍に敗れ、自害。   国人

29

伊万里(いまり)砦 肥前 草野鎮永 原田氏出身で、草野家の養子となる。大友氏の支援を得て、龍造寺氏と争う。耳川の戦い後、反旗を翻すも立花道雪軍に敗れ、降伏。   国人

30

宇土(うと)砦 肥後 名和武顕 肥後の豪族。宇土城主。相良家と争うが、やがて娘を相良晴広に嫁がせて和睦する。のちに再び相良家と戦う。   国人

31

国見(くにみ)砦 大隅 蒲生範清 大隅の国人。相良・菱刈・入来院らと手を結び、島津氏に対抗するも、城を次々と落とされ、逃亡。   国人

32

大口(おおくち)砦 薩摩 菱刈隆秋 薩摩の豪族。兄・重猛の死後、家督を継ぐ。相良氏と結んで島津氏に対抗したため、島津軍の攻撃を受けて居城を落され、行方不明になった。 鉄:3 国人

33

専称寺 羽前 専称寺秀意 本願寺8世法主・蓮如の高弟・願生坊が高擶に開いた寺で、村山地方に多数建立された真宗寺院の中心的存在となった。   一向

34

本証寺 三河 本証寺蓮秀 一向宗の寺院。三河一向一揆の際には上宮寺・勝鬢寺などとともに一向宗門徒の拠点の1つとなり徳川家康に対して頑強に抵抗した。   一向

35

正徳寺 尾張 正徳寺明蓮 一向宗の寺院。尾張・美濃国境に位置し、両国の諸役免除を受けていた。斎藤道三と織田信長が初めて対面を果たした場所として著名。   一向

36

願証寺 伊勢志摩 願証寺明俊 一向宗の寺院で、一向宗門徒の一大拠点として織田信長に激しく抵抗したが、信長の焦土作戦によって1574年に灰燼に帰した。   一向

37

照蓮寺 飛騨 照蓮寺明誓 一向宗の寺院で、帰雲城主・内ヶ島家とともに、白川郷の平和維持に尽力した。内ヶ島家の滅亡後は飛騨高山城下に移された。   一向

38

大泉寺 南越後 大泉寺竜玄 一向宗の寺院。越後は頸城郡を中心に早くから一向宗が広まっていたが、長尾為景・晴景から謙信への政権移行期には禁止されていた。 馬:1 一向

39

瑞泉寺 越中 瑞泉寺了賢 一向宗の寺院。南北朝時代の開山という。戦国時代には一向一揆の拠点として大小370の寺院に号令、神保家や上杉家と激しく争った。   一向

40

松岡寺 加賀 松岡寺善従 蓮如の三男・北隣坊蓮綱が二俣本泉寺の兄・蓮乗に招かれて、能美郡山田の池の城に寺坊を開いたのが始まり。賀州三ヶ寺の一つとして栄え、加賀一向一揆を統括していた。   一向

41

吉崎御坊 越前若狭 吉崎願知 一向宗の寺院。本願寺8世法主・蓮如が1471年に開いた。加賀・越中などの門徒を集め北陸における一向宗の拠点とした。   一向

42

本福寺 近江 本福寺賢誓 1312年頃の創建と伝えられる一向宗の寺院。応仁の乱から近江に逃れた蓮如が、布教の拠点にした寺院として知られる。   一向

43

大物寺 摂津 大物寺浄祐 16世紀には農民が一向宗を信仰するようになった。やがてそれは信長に対抗するため寺内町をつくった大物の一向一揆などに発展していく。   一向

44

久宝寺 河内和泉 久宝寺勝慧 久宝寺の町は、西証寺を中心に寺内町として成立する。西証寺は蓮淳の時代に顕証寺と名を改め、歴代連枝を住職とする格式高い寺院として、久宝寺村四町四方を統括した。 鉄:2 一向

45

粉河寺 紀伊 粉河寺蓮教 770年、大伴孔子古が千手観世音菩薩を本尊として創建。豊臣秀吉の紀州攻めの際に焼失した。 鉄:3 一向

46

英賀御坊 播磨 英賀証秀 一向宗門徒が播磨国内に形成した寺内町の1つ。大物地内町などとともに、播磨守護・赤松家や織田信長に対して抵抗を続けた。   一向

47

光照寺 備後 光照寺道知 1216年に開かれた西日本で最初の一向宗の寺院。戦国時代の安芸・備後は一向宗門徒が増え「安芸門徒」が形成されるに至った。   一向

48

善教寺 安芸 善教寺了珍 1513年に西空が開基した西本願寺下広島寺町光福寺の末寺。戦国時代の安芸・備後は一向宗門徒が増え「安芸門徒」が形成されるに至った。   一向

49

中尊寺 陸中 中尊寺豪盛 850年に慈覚大師が開基した天台宗の寺院。1337年の火災でほとんどが焼失し、金色堂と経蔵の一部を残すのみとなったが、伊達氏の保護により復興を果たす。   旧仏

50

法華経寺 下総 法華経寺日親 日蓮宗の寺院。日蓮は北条時頼に「日蓮宗に帰依しなければ国が滅ぶ」と予言したため襲撃を受け、下総の豪族・富木常忍のもとに逃れた。その後自宅を法華寺としたのが始まりという。   旧仏

51

二荒山社 下野 二荒山実真 霊峰・二荒山を尊崇する神社。宇都宮氏は二荒山社の神官領主で、城下は二荒山の門前町として発展した。   旧仏

52

金鑽宮寺 武蔵 金鑽宮寺呑竜 武蔵に位置する天台宗の巨刹。金鑽宮寺には全国から学僧や勧進聖が訪れたという。   旧仏

53

浅間大社 駿河 浅間恒弘 富士山の大噴火を鎮めるため、垂仁天皇が浅間大神を山足の地に祀ったのが起源という。全国の浅間神社の総本宮。   旧仏

54

久遠寺 甲斐 久遠寺日朝 身延山にある日蓮宗の総本山。日蓮宗の開祖・日蓮が1274年に建立してこの地に隠棲し、後継者の育成および指導などに従事した。 馬:1 旧仏

55

善光寺 北信濃 善光寺公恵 皇極天皇によって建立されたという。本尊・「一光三尊阿弥陀如来」を信州の地に安置した本田善光の名を取って善光寺とした。   旧仏

56

延暦寺 山城 延暦寺覚恕 天台宗の開祖・伝教大師最澄が開山した。王城鎮護の霊山として君臨してきたが、1571年に織田信長によって焼き討ちされた。   旧仏

57

興福寺 大和 興福寺尋尊 藤原鎌足の夫人が山科に創建した山階寺が前身で、藤原不比等が奈良に移した。多数の僧兵を抱え大和一国を治める実力を持つに至った。   旧仏

58

大山寺 因幡伯耆 大山寺乗晄 大山の中腹にある天台宗の山岳寺院。もとは修験道場であったが、山岳仏教の拠点として栄えた。   旧仏

59

鰐淵寺 出雲 鰐淵寺厳空 594年に智春上人が開基した天台宗の古刹。上人が花皿を滝壷に落とすと、鰐が拾って浮かび上がったことから名づけられた。   旧仏

60

本蓮寺 備前 本蓮寺日典 備前南部を中心に多数立てられた日蓮宗の寺院の1つ。日蓮宗は松田家・宇喜多家の庇護により「備前法華」として広まっていた。   旧仏

61

善通寺 讃岐 善通寺了運 真言宗の開祖・弘法大師空海が生誕した場所に開かれた寺院。紀州高野山・京都東寺とともに、大師三大霊跡の1つといわれている。   旧仏

62

彦山社 豊前 彦山喜安 出羽三山、熊野三山と並ぶ鎮西修験道の一大拠点。御祭神が天忍穂耳命であるところから「日子山」と呼ばれ、やがて「彦山」になったという。   旧仏

63

宗像社 筑前 宗像氏貞 氏貞は宗像社の大宮司。宗像氏最大の版図を築くが、後継がないまま急死し、豊臣秀吉の九州派兵の際に全領を没収されて滅亡した。   旧仏

64

長善寺 日向 長善寺玉堂 日向では大光寺・安国寺・長善寺などを中心に、在地領主の支持を得た臨済宗が盛んだった。1561年、同寺で島津軍と伊東軍が戦ったという。   旧仏

65

臼杵の村/S3〜デウス聖堂 豊後 臼杵権左衛門
(S3〜)臼杵シモン
1553年に大友宗麟が建てた教会。信者が自ら建築に当たり、礼拝堂と高い十字架を持つ。教会の他にもノビシャド・コレジョという教育施設が建てられた。   切支丹

66

長崎の村/S3〜御やどり聖堂 肥前 長崎八右衛門
(S3〜)長崎アンリケ
平戸・長崎などでは南蛮貿易が行われたため、大村純忠・有馬晴信など受洗する大名も多かった。サントス教会と共にキリスト教布教の拠点となり、周囲は南蛮文化の香りが漂うようになった。   切支丹

67

塩竈の町 陸前 簗田藤左衛門 会津の豪商で、蘆名家の御用商人を務めた。塩釜は奥州一の宮・塩竈神社の門前町、および塩釜港を擁する港町として栄えた。塩釜港は陸奥国府・多賀城への荷揚げ港として古くから栄えた。   都市

68

品川の町 武蔵 宇野藤右衛門 下野の売薬商人で、下野佐野の領主・佐野昌忠から「外郎丸薬」を日光町で商うことを許された。品川は品川港を擁する港町として発展した。江戸時代には東海道五十三次の一番目の宿場町となり、宿内の家々1千6百軒、人口7千人という。   都市

69

江尻の町 駿河 伊藤祐広 尾張名古屋に住んだ豪商で、祐広・祐道と代を伝えた。祐道は松平忠吉に仕え、呉服太物問屋・伊藤屋(のち松坂屋)を開業した。   都市

70

諏訪の町 南信濃 倉科朝軌 甲斐に住み武田家・小笠原家に仕えた御用商人。朝軌は木曾で賊に襲われ殺害された。子孫は信濃松本町の問屋兼大名主を務めた。諏訪は諏訪大社の門前町として発展した。甲州街道の上諏訪宿を経て中山道の下諏訪宿に至る。上諏訪・下諏訪ともに、温泉宿場町として栄えた。   都市

71

本吉の町 加賀 内田卜庵 本吉湊は鎌倉時代から「三津七湊」の一つとして栄える。江戸期に最盛期を向かえ、加賀藩の経済金融の中心地となる。年間1500隻の船が出入りし、米蔵が建ち並び廻船問屋や商人たちで活気があったという。   都市

72

京都の町 山城 川端道喜 京都の商人。供御の餅、内侍所日々の神供を調進し、のちに洛外の餅屋を支配する京餅座の権利を取得した。禁裏築地の修理を行い、諸公事免除の特権を得た。   都市

73

堺の町 河内和泉 今井宗久 堺の商人。今井家は宗久・宗薫・宗呑と代を伝えた。宗久は堺の有力町衆となり織田信長に仕え、但馬生野銀山経営などで活躍した。宗薫は徳川家康に仕えた。   都市

74

美保関の町 出雲 渋谷与右衛門 備後尾道港を拠点とした船持ち商人で、毛利家の御用商人を務めた。毛利家のほかに、三島村上水軍とも親密な関係を持った。   都市

75

宿毛の町 土佐 高来善三郎 淡路の船問屋という。豊臣秀吉の朝鮮派兵の際、水軍に手配するために、百艘の船を対馬豊崎に回漕するよう、秀吉に命じられた。   都市

76

博多の町 筑前 神屋宗湛 博多の商人。博多を拠点に海外貿易に携わり、銀の輸出を独占した。石見銀山で財を築き、千利休のすすめで豊臣秀吉と接触、「筑紫ノ坊主」と呼ばれた。茶人としても著名。   都市

77

箱館湊 蝦夷 河野政通 蝦夷の豪族。1454年に渡道し、館を築いて居館とした。「箱館」の地名の由来は、築かれた館が箱形だったことに由来する。   水軍

78

十三湊 陸奥 森山季定 森山館主。十三湊は「三津七湊」の一つとして繁栄し、文明年間には松前との交易など商船の往来が絶えず、日本海沿岸航路の拠点として重要な地位を占めた。   水軍

79

金谷湊 上総安房 竜崎弥七郎 里見家臣。足軽小頭を務めた。1606年に、北郡大津村および丸郡小向村のうちで、100石の知行地を与えられた。   水軍

80

三崎湊 相模伊豆 間宮武兵衛 北条家に仕えた船大将。武田信玄の伊豆侵攻軍に敗れ、その家臣となる。武田家滅亡後は弟の造酒丞とともに北条家に戻った。   水軍

81

大浜湊 三河 岡部忠兵衛 今川家臣。主家滅亡後は武田家に仕えて海賊衆の1人となり、土屋豊前守貞綱と改名した。長篠合戦に従軍し、戦死した。   水軍

82

鳥羽湊 伊勢志摩 九鬼嘉隆 織田家臣。志摩海賊衆の1人。木津川口合戦での大敗を契機に「鉄甲船」を建造し、毛利水軍を粉砕する。その功で大名に出世し「海賊大名」の異名をとった。   水軍

83

小津湊 河内和泉 梶原景宗 北条家臣。氏康に紀伊より招かれ、水軍を率いる。里見家との戦いなどで活躍した。小田原征伐後、氏直に従って高野山に赴く。氏直の死後、紀伊に戻った。   水軍

84

下津井湊 備前 金光文右衛門 石山城主・金光宗高の子。下津井湊は「西国の喉首」と呼ばれ、古くから瀬戸内海航路の要衝として発展した。   水軍

85

能島湊 備後 村上武吉 能島村上水軍の頭領。義忠の子。厳島合戦において毛利軍の勝利に大きく貢献。以後は毛利家に仕え、木津川口合戦で織田水軍に大勝するなど各地で活躍した。   水軍

86

赤間関湊 周防長門 白井賢胤 安芸武田家、ついで大内家に仕えた、海賊の棟梁。陶晴賢の謀叛後は陶家に仕え、厳島合戦では陶水軍を率いて活躍した。   水軍

87

撫養湊 阿波淡路 森村春 蜂須賀家臣。鳴門の土佐泊を本拠とする水軍の総帥。のちに主君・家政の命により土佐への抑えとして椿泊に移った。豊臣秀吉の朝鮮派兵に従軍し、戦死した。   水軍

88

宇多津湊 讃岐 岡崎清左衛門 清左衛門は徳玉神社の檀主。宇多津は讃岐随一の港湾都市として発展し、多くの寺社も建立された。備前・備後産の塩などを輸送していたという。   水軍

89

今治湊 伊予 来島通康 河野家臣。来島村上水軍の頭領。主君・通直から後継者に指名されるが、反対意見が多く実現しなかった。厳島合戦では毛利軍に協力し、その勝利に貢献した。   水軍

90

板島湊 伊予 忽那通著 河野家に仕えた海賊の棟梁。伊予吉田城主を務め、式部少輔を称し忽那島を領した。1579年に伊予花瀬合戦で戦死した。   水軍

91

門司湊 豊前 櫛来新右衛門 大友家臣。古くは門司ケ関という関所があり、九州と本州を行き来する人々を取り締まる地であった。戦国期には、毛利氏と大友氏による門司の争奪戦が繰り広げられた。   水軍

92

佐伯湊 豊後 若林鎮興 大友家に仕えた海賊の棟梁。毛利水軍との戦いや土佐一条家の救援、田原親貫の謀叛鎮圧など、各地の合戦で戦功を挙げた。   水軍

93

黒脛巾の里 羽前 大林坊俊海 黒脛巾組は奥州伊達氏に抱えられていた忍者衆。大林坊俊海は出羽三山・羽黒山の修験者であったという。   忍者

94

風魔の里 相模伊豆 風魔小太郎 相州乱波の頭領。情報収集や敵地撹乱に奔走し、北条家の治政を陰から支えた。身長は7尺2寸、目はさかさまに裂け、口からは牙が4本飛び出ていたという。   忍者

95

戸隠の里 北信濃 禰津潜竜斎 真田家配下・根津一族の出身。真田家が抱える忍者衆の巨魁であったという。   忍者

96

軒猿の里 南越後 加藤段蔵 「鳶加藤」または「飛び加藤」の名で知られる。上杉謙信に引見した際、殺されそうになるが逃れた。のちに武田信玄に引見して殺された。   忍者

97

甲賀の里 近江 伴与七郎 徳川家康に仕えた忍者。伴家は甲賀二十一家の一つ。独立直後の松平元康が、伴家の忍者を含む甲賀忍者200名を使い、今川家の城を大混乱に陥れたという。   忍者

98

伊賀の里 伊賀 百地三太夫 伊賀の豪族。服部・藤林と並ぶ伊賀上忍家の一つ。忍術を駆使して織田信雄の伊賀侵攻軍を撃退するが、のちに織田信長の大軍の攻撃を受け、戦死したという。   忍者

99

世鬼の里 安芸 世鬼政時 政親の子。もともと世鬼家は安芸の豪族・高橋氏に仕えていたが、政時の代に毛利元就に仕える。以後、世鬼家は毛利氏の情報源の大きな支えとなる。   忍者

100

窃忍の里 肥後 塩田甚太夫 薩摩・甑島の住人。鞍馬楊心流の免許皆伝者。武術巻物・秘伝書など一切の伝授を受けて、甑島に伝えたという。   忍者

 

家宝購入可能拠点情報

番号 拠点名 シナリオ1 シナリオ2 シナリオ3 シナリオ4 シナリオ5 シナリオ6 個数

駒寄砦 会津農書 会津農書 会津農書 会津農書 会津農書 会津農書 1個

矢島砦 松前肩衝 松前肩衝 松前肩衝 松前肩衝 松前肩衝 松前肩衝 1個

下館砦 香取神道流書・松鷹図 香取神道流書・松鷹図 香取神道流書・松鷹図 香取神道流書・松鷹図 香取神道流書・松鷹図 香取神道流書・松鷹図 2個

岩櫃砦 松風・麦落雁 松風・麦落雁 松風・麦落雁 松風・麦落雁 松風・麦落雁 松風・麦落雁 2個

10

津久井砦 日光助真・貞永式目抄 日光助真・貞永式目抄 日光助真・貞永式目抄 日光助真・貞永式目抄 日光助真・貞永式目抄 日光助真・貞永式目抄 2個

11

馬伏塚砦/横須賀砦 梅松論 梅松論 梅松論 梅松論 梅松論 梅松論 1個

12

赤谷山砦/郡上八幡砦 竹中小肩衝・一刀流口伝書 竹中小肩衝・一刀流口伝書 竹中小肩衝・一刀流口伝書 竹中小肩衝・一刀流口伝書 竹中小肩衝・一刀流口伝書 竹中小肩衝・一刀流口伝書 2個

15

穴水砦 波濤図 波濤図 波濤図 波濤図 波濤図 波濤図 1個

16

柏原砦 十文字槍 十文字槍 十文字槍 十文字槍 十文字槍 十文字槍 1個

18

建部山砦/田辺砦 橋立 橋立 橋立 橋立 橋立 橋立 1個

19

竹田砦 法城寺・芭蕉夜雨図 法城寺・芭蕉夜雨図 法城寺・芭蕉夜雨図 法城寺・芭蕉夜雨図 法城寺・芭蕉夜雨図 法城寺・芭蕉夜雨図 2個

20

津和野砦 吐月糖 吐月糖 吐月糖 吐月糖 吐月糖 吐月糖 1個

21

矢筈山砦 竹内流柔術書 竹内流柔術書 竹内流柔術書 竹内流柔術書 竹内流柔術書 竹内流柔術書 1個

22

鶴首砦/松山砦 八幡大菩薩・片山一文字・破墨山水図 八幡大菩薩・片山一文字・破墨山水図 八幡大菩薩・片山一文字・破墨山水図 八幡大菩薩・片山一文字・破墨山水図 八幡大菩薩・片山一文字・破墨山水図 八幡大菩薩・片山一文字・破墨山水図 3個

23

若山砦     藍韋威肩赤鎧 藍韋威肩赤鎧 藍韋威肩赤鎧 藍韋威肩赤鎧 1個

24

日和佐砦 四十石 四十石・阿波筒 四十石・阿波筒 四十石・阿波筒 四十石・阿波筒 四十石・阿波筒 2個

25

仏殿砦 金白檀鉄腹巻・薄墨羊羹 金白檀鉄腹巻・薄墨羊羹 金白檀鉄腹巻・薄墨羊羹 金白檀鉄腹巻・薄墨羊羹 金白檀鉄腹巻・薄墨羊羹 金白檀鉄腹巻・薄墨羊羹 2個

28

黒木砦 大典太光世 大典太光世         1個

32

大口砦 泡盛 種子島筒・薩摩筒・泡盛 種子島筒・薩摩筒・泡盛 種子島筒・薩摩筒・泡盛 種子島筒・薩摩筒・泡盛 種子島筒・薩摩筒・泡盛 3個

33

専称寺   米沢筒 米沢筒 米沢筒 米沢筒 米沢筒 1個

34

本証寺 金陀美具足 金陀美具足         1個

35

正徳寺 朧月 朧月 朧月 朧月 朧月 朧月 1個

36

願証寺 九鬼文琳・陰流之私 九鬼文琳・陰流之私 九鬼文琳・陰流之私 九鬼文琳・陰流之私 九鬼文琳・陰流之私 九鬼文琳・陰流之私 2個

41

吉崎御坊 八十一難経・豊原 八十一難経・豊原 八十一難経・豊原 八十一難経・豊原 八十一難経・豊原 八十一難経・豊原 2個

42

本福寺 網干図 国友筒・日野筒・網干図 国友筒・日野筒・網干図 国友筒・日野筒・網干図 国友筒・日野筒・網干図 国友筒・日野筒・網干図 3個

43

大物寺 兵庫 兵庫         1個

45

粉河寺 熊野三所権現 熊野三所権現・紀州筒 熊野三所権現・紀州筒 熊野三所権現・紀州筒 熊野三所権現・紀州筒 熊野三所権現・紀州筒 2個

48

善教寺 安国寺肩衝・身自鏡 安国寺肩衝・身自鏡 安国寺肩衝・身自鏡 身自鏡 身自鏡 身自鏡 2個

49

中尊寺 義経記 義経記 義経記 義経記 義経記 義経記 1個

50

法華経寺 永享記・三喜廻翁医書 永享記・三喜廻翁医書 永享記・三喜廻翁医書 永享記・三喜廻翁医書 永享記・三喜廻翁医書 永享記・三喜廻翁医書 2個

51

二荒山社 夕雲流剣術書 夕雲流剣術書 夕雲流剣術書 夕雲流剣術書 夕雲流剣術書 夕雲流剣術書 1個

53

浅間大社     観音図 観音図 観音図 観音図 1個

54

久遠寺 数珠丸恒次・徳本医方 数珠丸恒次・徳本医方 数珠丸恒次・徳本医方 数珠丸恒次・徳本医方 数珠丸恒次・徳本医方 数珠丸恒次・小桜韋威鎧・六十二間筋兜・徳本医方 4個

55

善光寺 鬼切安綱 鬼切安綱 鬼切安綱 鬼切安綱 鬼切安綱 鬼切安綱 1個

56

延暦寺 円乗坊肩衝・黒楽東陽坊・庭訓往来・栗柿図 円乗坊肩衝・黒楽東陽坊・庭訓往来・栗柿図 円乗坊肩衝・黒楽東陽坊・庭訓往来・栗柿図 円乗坊肩衝・黒楽東陽坊・庭訓往来・栗柿図 富士茄子・本能寺文琳・円乗坊肩衝・黒楽東陽坊・武蔵野・庭訓往来・栗柿図 富士茄子・本能寺文琳・円乗坊肩衝・黒楽東陽坊・武蔵野・庭訓往来・栗柿図 7個

57

興福寺 古事記・太子・紅塵・菩提泉 古事記・太子・紅塵・菩提泉 古事記・太子・紅塵・菩提泉 古事記・太子・紅塵・菩提泉 古事記・太子・紅塵・菩提泉 古事記・太子・紅塵・菩提泉 4個

60

本蓮寺 大包平 大包平・備前筒 大包平・備前筒 大包平・備前筒 備前筒 備前筒 2個

65

臼杵の村/デウス聖堂     雷粉式銃・籠筒・セーカー砲・金平糖・薔薇葡萄酒・白葡萄酒・赤葡萄酒 雷粉式銃・籠筒・セーカー砲・金平糖・薔薇葡萄酒・白葡萄酒・赤葡萄酒 雷粉式銃・籠筒・セーカー砲・金平糖・薔薇葡萄酒・白葡萄酒・赤葡萄酒 雷粉式銃・籠筒・セーカー砲・金平糖・薔薇葡萄酒・白葡萄酒・赤葡萄酒 7個

66

長崎の村/御やどり聖堂     雷管式銃・懐鉄砲・仏狼機・カステラ・アクアヴィテ・発泡酒・麦酒 雷管式銃・懐鉄砲・仏狼機・カステラ・アクアヴィテ・発泡酒・麦酒 雷管式銃・懐鉄砲・仏狼機・カステラ・アクアヴィテ・発泡酒・麦酒 雷管式銃・懐鉄砲・仏狼機・カステラ・アクアヴィテ・発泡酒・麦酒 7個

67

塩竈の町 りんき壺・達磨堂釜・赤楽早船・尺八・からたち・二尊院・種壺・鬼芦毛・大芦毛・星河原毛・遠江鹿毛・星崎・大東流柔術書・大坪流桐坪巻・広益国産考・匠家極秘伝 りんき壺・達磨堂釜・赤楽早船・尺八・からたち・二尊院・種壺・仙台筒・鬼芦毛・大芦毛・星河原毛・遠江鹿毛・星崎・大東流柔術書・大坪流桐坪巻・霞流砲術書・広益国産考・匠家極秘伝 りんき壺・達磨堂釜・赤楽早船・尺八・からたち・二尊院・種壺・仙台筒・鬼芦毛・大芦毛・星河原毛・遠江鹿毛・星崎・大東流柔術書・大坪流桐坪巻・霞流砲術書・広益国産考・匠家極秘伝 達磨堂釜・赤楽早船・尺八・からたち・二尊院・種壺・仙台筒・鬼芦毛・大芦毛・星河原毛・遠江鹿毛・星崎・大東流柔術書・大坪流桐坪巻・霞流砲術書・広益国産考・匠家極秘伝 達磨堂釜・尺八・からたち・種壺・仙台筒・星崎・大東流柔術書・大坪流桐坪巻・霞流砲術書・広益国産考・匠家極秘伝 達磨堂釜・尺八・からたち・種壺・仙台筒・星崎・大東流柔術書・大坪流桐坪巻・霞流砲術書・広益国産考・匠家極秘伝 18個

68

品川の町 尻張釜・絵志野卯花墻・園城寺・袴腰・黒糸威二枚胴・唐冠形兜・鉄錆地筋兜・三国黒・百里黒・白石・桜野・本朝武芸小伝・磯貝流柔術書・神当流音捨巻・吾妻鏡・農業全書・惣地取奥義・東国紀行・方丈記・稲雀図 尻張釜・絵志野卯花墻・園城寺・袴腰・黒糸威二枚胴・唐冠形兜・鉄錆地筋兜・三国黒・百里黒・白石・桜野・本朝武芸小伝・磯貝流柔術書・神当流音捨巻・外記流砲術書・関流砲術書・吾妻鏡・農業全書・惣地取奥義・東国紀行・方丈記・稲雀図 尻張釜・絵志野卯花墻・園城寺・袴腰・黒糸威二枚胴・唐冠形兜・鉄錆地筋兜・三国黒・百里黒・白石・桜野・本朝武芸小伝・磯貝流柔術書・神当流音捨巻・外記流砲術書・関流砲術書・吾妻鏡・農業全書・惣地取奥義・東国紀行・方丈記・稲雀図 尻張釜・絵志野卯花墻・園城寺・袴腰・唐冠形兜・鉄錆地筋兜・三国黒・百里黒・白石・桜野・本朝武芸小伝・磯貝流柔術書・神当流音捨巻・外記流砲術書・関流砲術書・吾妻鏡・農業全書・惣地取奥義・東国紀行・方丈記・稲雀図 尻張釜・絵志野卯花墻・園城寺・袴腰・鉄錆地筋兜・三国黒・百里黒・白石・桜野・本朝武芸小伝・磯貝流柔術書・神当流音捨巻・外記流砲術書・関流砲術書・吾妻鏡・農業全書・惣地取奥義・東国紀行・方丈記・稲雀図 尻張釜・絵志野卯花墻・園城寺・袴腰・鉄錆地筋兜・三国黒・百里黒・白石・桜野・本朝武芸小伝・磯貝流柔術書・神当流音捨巻・外記流砲術書・関流砲術書・吾妻鏡・農業全書・惣地取奥義・東国紀行・方丈記・稲雀図 22個

69

江尻の町 酸漿文琳・乙御前釜・曜変稲葉天目・三島藤袴・有楽井戸・夜長・深山木・雪折・春雨・弱法師・沢瀉槍・魚鱗札二枚胴・朱漆塗桶側胴・椎実形兜・粕毛・関口流柔術書・庭乗之書・除蝗録・兵法雄鑑・翁草 酸漿文琳・乙御前釜・曜変稲葉天目・三島藤袴・有楽井戸・夜長・深山木・雪折・春雨・弱法師・沢瀉槍・魚鱗札二枚胴・朱漆塗桶側胴・椎実形兜・粕毛・関口流柔術書・庭乗之書・除蝗録・兵法雄鑑・翁草 酸漿文琳・乙御前釜・曜変稲葉天目・三島藤袴・有楽井戸・夜長・深山木・雪折・春雨・弱法師・沢瀉槍・匕首鉄砲・火矢筒・朱漆塗桶側胴・粕毛・関口流柔術書・庭乗之書・除蝗録・兵法雄鑑・翁草 酸漿文琳・乙御前釜・曜変稲葉天目・三島藤袴・夜長・深山木・雪折・春雨・弱法師・沢瀉槍・匕首鉄砲・火矢筒・朱漆塗桶側胴・粕毛・関口流柔術書・庭乗之書・除蝗録・兵法雄鑑・翁草 酸漿文琳・乙御前釜・曜変稲葉天目・三島藤袴・夜長・深山木・雪折・春雨・弱法師・沢瀉槍・匕首鉄砲・火矢筒・関口流柔術書・庭乗之書・除蝗録・兵法雄鑑・翁草 酸漿文琳・乙御前釜・曜変稲葉天目・三島藤袴・夜長・深山木・雪折・春雨・弱法師・沢瀉槍・匕首鉄砲・火矢筒・関口流柔術書・庭乗之書・除蝗録・兵法雄鑑・翁草 20個

70

諏訪の町 富士形釜・赤楽臨済・白山・菱馬・惣黒熊毛具足・大水牛脇立兜・小鹿毛・小雲雀・承久記・福野流柔術書・小笠原流庭乗・毛吹草・秘伝軍礼聞書・匠道奥秘巻・十六夜日記・老人雑話 富士形釜・赤楽臨済・菱馬・惣黒熊毛具足・大水牛脇立兜・小鹿毛・小雲雀・承久記・福野流柔術書・小笠原流庭乗・毛吹草・秘伝軍礼聞書・匠道奥秘巻・十六夜日記・老人雑話 富士形釜・赤楽臨済・菱馬・惣黒熊毛具足・大水牛脇立兜・小鹿毛・小雲雀・承久記・福野流柔術書・小笠原流庭乗・毛吹草・秘伝軍礼聞書・匠道奥秘巻・十六夜日記・老人雑話 富士形釜・赤楽臨済・菱馬・惣黒熊毛具足・大水牛脇立兜・小鹿毛・小雲雀・承久記・福野流柔術書・小笠原流庭乗・毛吹草・秘伝軍礼聞書・匠道奥秘巻・十六夜日記・老人雑話 富士形釜・赤楽臨済・菱馬・大水牛脇立兜・承久記・福野流柔術書・小笠原流庭乗・毛吹草・秘伝軍礼聞書・匠道奥秘巻・十六夜日記・老人雑話 富士形釜・赤楽臨済・菱馬・大水牛脇立兜・黒雲・鬼鹿毛・大鹿毛・承久記・福野流柔術書・小笠原流庭乗・毛吹草・秘伝軍礼聞書・匠道奥秘巻・十六夜日記・老人雑話 16個

71

本吉の町 大講堂釜・加賀井戸・柴田井戸・破桶・妙法蓮華経・当麻銘薙刀・金箔置色々威・鯰尾兜・平法口決・楊心流柔術書・騎士用本・農具便利論・町人考見録・築城記・落穂集・寿煎餅 大講堂釜・加賀井戸・柴田井戸・破桶・妙法蓮華経・当麻銘薙刀・鯰尾兜・平法口決・楊心流柔術書・騎士用本・農具便利論・町人考見録・築城記・落穂集・寿煎餅 大講堂釜・加賀井戸・破桶・妙法蓮華経・当麻銘薙刀・朝鮮短筒・台車砲・平法口決・楊心流柔術書・騎士用本・農具便利論・町人考見録・築城記・落穂集・寿煎餅 大講堂釜・加賀井戸・破桶・妙法蓮華経・当麻銘薙刀・朝鮮短筒・台車砲・平法口決・楊心流柔術書・騎士用本・農具便利論・町人考見録・築城記・落穂集・寿煎餅 大講堂釜・破桶・妙法蓮華経・当麻銘薙刀・朝鮮短筒・台車砲・平法口決・楊心流柔術書・騎士用本・農具便利論・町人考見録・築城記・落穂集・寿煎餅 大講堂釜・破桶・妙法蓮華経・当麻銘薙刀・朝鮮短筒・台車砲・平法口決・楊心流柔術書・騎士用本・農具便利論・町人考見録・築城記・落穂集・寿煎餅 16個

72

京都の町 珠光文琳・初花肩衝・松屋肩衝・松本茄子・遅桜肩衝・筑紫肩衝・三日月・松花・志賀・青磁馬蝗絆・細川井戸・灰被虹天目・笹の葉・三日月宗近・呑取・来国俊銘薙刀・新陰百首・応仁記・三浦流柔術書・八条流幸秀論・政事要略・延喜式・和漢朗詠集・松屋筆記・啓迪集・歴代宝案・都のつと・宇治拾遺物語・二条河原落書・石菖蒲図・白鷺図・青柳 珠光文琳・初花肩衝・松屋肩衝・松本茄子・遅桜肩衝・筑紫肩衝・松花・志賀・青磁馬蝗絆・細川井戸・灰被虹天目・笹の葉・三日月宗近・呑取・来国俊銘薙刀・新陰百首・応仁記・三浦流柔術書・八条流幸秀論・稲富流砲術書・政事要略・延喜式・和漢朗詠集・松屋筆記・啓迪集・歴代宝案・都のつと・宇治拾遺物語・二条河原落書・石菖蒲図・白鷺図・青柳 珠光文琳・初花肩衝・松屋肩衝・松本茄子・遅桜肩衝・筑紫肩衝・松花・青磁馬蝗絆・細川井戸・灰被虹天目・笹の葉・呑取・来国俊銘薙刀・燧石式銃・腰指筒・ランタカ砲・南蛮胴具足・新陰百首・応仁記・三浦流柔術書・八条流幸秀論・稲富流砲術書・政事要略・延喜式・和漢朗詠集・松屋筆記・啓迪集・歴代宝案・都のつと・宇治拾遺物語・二条河原落書・石菖蒲図・白鷺図・青柳 珠光文琳・初花肩衝・松屋肩衝・松本茄子・遅桜肩衝・筑紫肩衝・青磁馬蝗絆・細川井戸・灰被虹天目・笹の葉・呑取・来国俊銘薙刀・燧石式銃・腰指筒・ランタカ砲・南蛮胴具足・新陰百首・応仁記・三浦流柔術書・八条流幸秀論・稲富流砲術書・政事要略・延喜式・和漢朗詠集・松屋筆記・啓迪集・歴代宝案・都のつと・宇治拾遺物語・二条河原落書・石菖蒲図・白鷺図・青柳 国司茄子・松屋肩衝・打雲大海・遅桜肩衝・筑紫肩衝・青磁馬蝗絆・灰被虹天目・笹の葉・落曇・呑取・来国俊銘薙刀・燧石式銃・腰指筒・ランタカ砲・南蛮胴具足・新陰百首・応仁記・三浦流柔術書・八条流幸秀論・稲富流砲術書・政事要略・延喜式・和漢朗詠集・松屋筆記・啓迪集・歴代宝案・都のつと・宇治拾遺物語・二条河原落書・石菖蒲図・白鷺図・四季花鳥図・釈迦説法図・紅梅図・青柳 国司茄子・松屋肩衝・打雲大海・遅桜肩衝・筑紫肩衝・青磁馬蝗絆・灰被虹天目・笹の葉・落曇・呑取・来国俊銘薙刀・燧石式銃・腰指筒・ランタカ砲・南蛮胴具足・新陰百首・応仁記・三浦流柔術書・八条流幸秀論・稲富流砲術書・政事要略・延喜式・和漢朗詠集・松屋筆記・啓迪集・歴代宝案・都のつと・宇治拾遺物語・二条河原落書・石菖蒲図・白鷺図・四季花鳥図・釈迦説法図・紅梅図・青柳 35個

73

堺の町 紹鴎茄子・似たり茄子・宗無肩衝・玉垣文琳・黒楽大黒・喜左衛門井戸・荒木高麗・三島桶・貨狄・泪・玉霰・蟲喰・此世・山躑躅・助光銘薙刀・馬藺後立付兜・太平楽・田宮流居合書・太平記・心眼流柔術書・荒木流馬術書・塵塚物語・今井宗久日記・蔭凉軒日録・匠明・医書大全・異国日記・閑吟集・武野燭談・布袋図・夕陽朝山図・胡桃餅 紹鴎茄子・似たり茄子・宗無肩衝・玉垣文琳・黒楽大黒・喜左衛門井戸・荒木高麗・三島桶・貨狄・泪・玉霰・蟲喰・此世・山躑躅・助光銘薙刀・堺筒・馬藺後立付兜・太平楽・田宮流居合書・太平記・心眼流柔術書・荒木流馬術書・津田流砲術書・田付流砲術書・荻野流砲術書・塵塚物語・今井宗久日記・蔭凉軒日録・匠明・医書大全・異国日記・閑吟集・武野燭談・布袋図・夕陽朝山図・胡桃餅 紹鴎茄子・宗無肩衝・玉垣文琳・松島・黒楽大黒・喜左衛門井戸・三島桶・貨狄・泪・玉霰・蟲喰・此世・山躑躅・助光銘薙刀・堺筒・管打式銃・馬上筒・カルバリン砲・太平楽・田宮流居合書・太平記・心眼流柔術書・荒木流馬術書・津田流砲術書・田付流砲術書・荻野流砲術書・塵塚物語・今井宗久日記・蔭凉軒日録・匠明・医書大全・異国日記・閑吟集・武野燭談・布袋図・夕陽朝山図・胡桃餅 紹鴎茄子・宗無肩衝・黒楽大黒・喜左衛門井戸・三島桶・泪・蟲喰・此世・山躑躅・助光銘薙刀・堺筒・管打式銃・馬上筒・カルバリン砲・太平楽・田宮流居合書・太平記・心眼流柔術書・荒木流馬術書・津田流砲術書・田付流砲術書・荻野流砲術書・塵塚物語・今井宗久日記・蔭凉軒日録・匠明・医書大全・異国日記・閑吟集・武野燭談・布袋図・夕陽朝山図・胡桃餅 紹鴎茄子・宗無肩衝・宮王肩衝・黒楽大黒・喜左衛門井戸・三島桶・泪・蟲喰・此世・山躑躅・助光銘薙刀・堺筒・管打式銃・馬上筒・カルバリン砲・太平楽・田宮流居合書・太平記・心眼流柔術書・荒木流馬術書・津田流砲術書・田付流砲術書・荻野流砲術書・塵塚物語・今井宗久日記・蔭凉軒日録・匠明・医書大全・異国日記・閑吟集・武野燭談・布袋図・夕陽朝山図・胡桃餅 紹鴎茄子・宗無肩衝・宮王肩衝・黒楽大黒・喜左衛門井戸・三島桶・泪・蟲喰・此世・山躑躅・助光銘薙刀・堺筒・管打式銃・馬上筒・カルバリン砲・太平楽・田宮流居合書・太平記・心眼流柔術書・荒木流馬術書・津田流砲術書・田付流砲術書・荻野流砲術書・塵塚物語・今井宗久日記・蔭凉軒日録・匠明・医書大全・異国日記・閑吟集・武野燭談・布袋図・夕陽朝山図・蘭奢待・胡桃餅 37個

74

美保関の町 阿弥陀堂釜・魚屋飯櫃高麗・残月・妙見大菩薩・生駒光忠・長光銘薙刀・景光銘薙刀・黒漆柄薙刀・無銘長巻・三日月兜・平常無敵書・馬術秘書・家業伝・士鑑用法・廻国雑記・多武峯 阿弥陀堂釜・魚屋飯櫃高麗・残月・妙見大菩薩・生駒光忠・長光銘薙刀・景光銘薙刀・黒漆柄薙刀・無銘長巻・三日月兜・平常無敵書・馬術秘書・中島流砲術書・家業伝・士鑑用法・廻国雑記・多武峯 阿弥陀堂釜・魚屋飯櫃高麗・大内筒・妙見大菩薩・長光銘薙刀・景光銘薙刀・黒漆柄薙刀・無銘長巻・平常無敵書・馬術秘書・中島流砲術書・家業伝・士鑑用法・廻国雑記・多武峯 阿弥陀堂釜・魚屋飯櫃高麗・大内筒・妙見大菩薩・長光銘薙刀・景光銘薙刀・黒漆柄薙刀・無銘長巻・平常無敵書・馬術秘書・中島流砲術書・家業伝・士鑑用法・廻国雑記・多武峯 阿弥陀堂釜・魚屋飯櫃高麗・大内筒・妙見大菩薩・長光銘薙刀・景光銘薙刀・黒漆柄薙刀・無銘長巻・平常無敵書・馬術秘書・中島流砲術書・家業伝・士鑑用法・廻国雑記・多武峯 阿弥陀堂釜・魚屋飯櫃高麗・大内筒・妙見大菩薩・長光銘薙刀・景光銘薙刀・黒漆柄薙刀・無銘長巻・平常無敵書・馬術秘書・中島流砲術書・家業伝・士鑑用法・廻国雑記・多武峯 16個

75

宿毛の町 十二支釜・旅枕・浅間・笹穂槍・萌葱糸素懸威・金銀象嵌兜・帆立貝前立兜・起倒流柔術書・射法一統・憔談治要・尺素往来・清良記・経済録・中島両以記文・愚子見記・常山紀談 十二支釜・旅枕・浅間・笹穂槍・金銀象嵌兜・帆立貝前立兜・起倒流柔術書・射法一統・天山流砲術書・憔談治要・尺素往来・清良記・経済録・中島両以記文・愚子見記・常山紀談 十二支釜・旅枕・浅間・笹穂槍・金銀象嵌兜・帆立貝前立兜・起倒流柔術書・射法一統・天山流砲術書・憔談治要・尺素往来・清良記・経済録・中島両以記文・愚子見記・常山紀談 十二支釜・旅枕・浅間・笹穂槍・金銀象嵌兜・帆立貝前立兜・起倒流柔術書・射法一統・天山流砲術書・憔談治要・尺素往来・清良記・経済録・中島両以記文・愚子見記・常山紀談 十二支釜・旅枕・浅間・笹穂槍・帆立貝前立兜・起倒流柔術書・射法一統・天山流砲術書・憔談治要・尺素往来・清良記・経済録・中島両以記文・愚子見記・常山紀談 十二支釜・旅枕・浅間・笹穂槍・帆立貝前立兜・起倒流柔術書・射法一統・天山流砲術書・憔談治要・尺素往来・清良記・経済録・中島両以記文・愚子見記・常山紀談 16個

76

博多の町 楢柴肩衝・芦屋釜・雲鶴匹田筒・向獅子・片鎌槍・千鳥槍・片肌脱二枚胴・銀白檀塗兜・長烏帽子形兜・帝釈栗毛・五輪書・平家物語・高木流柔術書・馬術歌之書・節用集・南遊紀行・島井宗室訓戒・宗湛日記・武教全書・善隣国宝記・西遊雑記・徒然草・瀟湘八景図・鴨図 楢柴肩衝・芦屋釜・雲鶴匹田筒・向獅子・片鎌槍・千鳥槍・片肌脱二枚胴・長烏帽子形兜・帝釈栗毛・五輪書・平家物語・高木流柔術書・馬術歌之書・高島流秘伝書・節用集・南遊紀行・島井宗室訓戒・宗湛日記・武教全書・善隣国宝記・西遊雑記・徒然草・瀟湘八景図・鴨図 芦屋釜・雲鶴匹田筒・向獅子・片鎌槍・菊地槍・千鳥槍・ピン打式銃・十手鉄砲・雷破山・片肌脱二枚胴・長烏帽子形兜・帝釈栗毛・五輪書・平家物語・高木流柔術書・馬術歌之書・高島流秘伝書・節用集・南遊紀行・島井宗室訓戒・宗湛日記・武教全書・善隣国宝記・西遊雑記・徒然草・瀟湘八景図・鴨図 芦屋釜・雲鶴匹田筒・向獅子・片鎌槍・菊地槍・千鳥槍・ピン打式銃・十手鉄砲・雷破山・片肌脱二枚胴・長烏帽子形兜・帝釈栗毛・五輪書・平家物語・高木流柔術書・馬術歌之書・高島流秘伝書・節用集・南遊紀行・島井宗室訓戒・宗湛日記・武教全書・善隣国宝記・西遊雑記・徒然草・瀟湘八景図・鴨図 芦屋釜・雲鶴匹田筒・向獅子・菊地槍・千鳥槍・ピン打式銃・十手鉄砲・雷破山・片肌脱二枚胴・長烏帽子形兜・五輪書・平家物語・高木流柔術書・馬術歌之書・高島流秘伝書・節用集・南遊紀行・島井宗室訓戒・宗湛日記・武教全書・善隣国宝記・西遊雑記・徒然草・瀟湘八景図・鴨図 芦屋釜・雲鶴匹田筒・向獅子・菊地槍・千鳥槍・ピン打式銃・十手鉄砲・雷破山・片肌脱二枚胴・長烏帽子形兜・五輪書・平家物語・高木流柔術書・馬術歌之書・高島流秘伝書・節用集・南遊紀行・島井宗室訓戒・宗湛日記・武教全書・善隣国宝記・西遊雑記・徒然草・瀟湘八景図・鴨図 27個

 

拠点規模情報

番号 拠点名(読み) 種別 シナリオ1 シナリオ2 シナリオ3 シナリオ4 シナリオ5 シナリオ6

花沢砦 国人 1 1 2 2 3 3

七戸砦 国人 3 3 4 4 5 5

白石砦 国人 3 3 4 4 5 5

赤館砦 国人 2 2 3 3 4 4

駒寄砦 国人 2 2 3 3 4 4

矢島砦 国人 3 3 4 4 5 5

下館砦 国人 3 3 4 4 5 5

勝浦砦 国人 2 2 3 3 4 4

岩櫃砦 国人 3 3 4 4 5 5

10

津久井砦 国人 2 2 3 3 4 4

11

馬伏塚砦/横須賀砦 国人 2 2 3 3 4 4

12

赤谷山砦/郡上八幡砦 国人 3 3 4 4 5 5

13

飯田砦 国人 1 1 2 2 3 3

14

黒滝砦 国人 2 2 3 3 4 4

15

穴水砦 国人 1 1 2 2 3 3

16

柏原砦 国人 1 1 2 2 3 3

17

細工所砦/園部砦 国人 1 1 2 2 3 3

18

建部山砦/田辺砦 国人 1 1 2 2 3 3

19

竹田砦 国人 1 1 2 2 3 3

20

津和野砦 国人 1 1 2 2 3 3

21

矢筈山砦 国人 1 1 2 2 3 3

22

鶴首砦/松山砦 国人 1 1 2 2 3 3

23

若山砦 国人 3 3 4 4 5 5

24

日和佐砦 国人 2 2 3 3 4 4

25

仏殿砦 国人 2 2 3 3 4 4

26

姫野々砦 国人 2 2 3 3 4 4

27

角牟礼砦 国人 2 2 3 3 4 4

28

黒木砦 国人 2 2 3 3 4 4

29

伊万里砦 国人 3 3 4 4 5 5

30

宇土砦 国人 3 3 4 4 5 5

31

国見砦 国人 1 1 2 2 3 3

32

大口砦 国人 2 2 3 3 4 4

33

専称寺 一向 1 1 2 2 2 2

34

本証寺 一向 1 1 2 2 1 1

35

正徳寺 一向 1 1 2 2 1 1

36

願証寺 一向 3 3 4 4 1 1

37

照蓮寺 一向 1 1 2 2 2 2

38

大泉寺 一向 1 1 2 2 2 2

39

瑞泉寺 一向 3 3 4 4 1 1

40

松岡寺 一向 2 2 3 3 1 1

41

吉崎御坊 一向 2 2 3 3 1 1

42

本福寺 一向 2 2 3 3 1 1

43

大物寺 一向 2 2 3 3 1 1

44

久宝寺 一向 2 2 3 3 1 1

45

粉河寺 一向 3 3 4 4 4 4

46

英賀御坊 一向 1 1 2 2 1 1

47

光照寺 一向 1 1 2 2 2 2

48

善教寺 一向 1 1 2 2 2 2

49

中尊寺 旧仏 1 1 2 2 3 3

50

法華経寺 旧仏 2 2 3 3 4 4

51

二荒山社 旧仏 2 2 3 3 4 4

52

金鑽宮寺 旧仏 1 1 2 2 3 3

53

浅間大社 旧仏 1 1 2 2 3 3

54

久遠寺 旧仏 2 2 3 3 4 4

55

善光寺 旧仏 1 1 2 2 3 3

56

延暦寺 旧仏 3 3 4 4 1 1

57

興福寺 旧仏 3 3 4 4 5 5

58

大山寺 旧仏 1 1 2 2 3 3

59

鰐淵寺 旧仏 2 2 3 3 4 4

60

本蓮寺 旧仏 1 1 2 2 3 3

61

善通寺 旧仏 3 3 4 4 5 5

62

彦山社 旧仏 2 2 3 3 4 4

63

宗像社 旧仏 1 1 2 2 3 3

64

長善寺 旧仏 1 1 2 2 3 3

65

臼杵の村/デウス聖堂 切支丹 1 1 2 2 3 3

66

長崎の村/御やどり聖堂 切支丹 1 1 2 2 3 3

67

塩竈の町 都市 1 1 2 2 3 3

68

品川の町 都市 2 2 3 3 4 4

69

江尻の町 都市 2 2 3 3 4 4

70

諏訪の町 都市 1 1 2 2 3 3

71

本吉の町 都市 1 1 2 2 3 3

72

京都の町 都市 2 2 3 3 4 4

73

堺の町 都市 3 3 4 4 5 5

74

美保関の町 都市 1 1 2 2 3 3

75

宿毛の町 都市 1 1 2 2 3 3

76

博多の町 都市 3 3 4 4 5 5

77

箱館湊 水軍 1 1 2 2 3 3

78

十三湊 水軍 1 1 2 2 3 3

79

金谷湊 水軍 1 1 2 2 3 3

80

三崎湊 水軍 2 2 3 3 4 4

81

大浜湊 水軍 1 1 2 2 3 3

82

鳥羽湊 水軍 3 3 4 4 5 5

83

小津湊 水軍 2 2 3 3 4 4

84

下津井湊 水軍 1 1 2 2 3 3

85

能島湊 水軍 3 3 4 4 5 5

86

赤間関湊 水軍 2 2 3 3 4 4

87

撫養湊 水軍 1 1 2 2 3 3

88

宇多津湊 水軍 2 2 3 3 4 4

89

今治湊 水軍 3 3 4 4 5 5

90

板島湊 水軍 1 1 2 2 3 3

91

門司湊 水軍 1 1 2 2 3 3

92

佐伯湊 水軍 2 2 3 3 4 4

93

黒脛巾の里 忍者 1 1 2 2 3 3

94

風魔の里 忍者 2 2 3 3 4 4

95

戸隠の里 忍者 2 2 3 3 4 4

96

軒猿の里 忍者 2 2 3 3 4 4

97

甲賀の里 忍者 3 3 4 4 5 5

98

伊賀の里 忍者 3 3 4 4 1 1

99

世鬼の里 忍者 1 1 2 2 3 3

100

窃忍の里 忍者 1 1 2 2 3 3

 

諸勢力武将の姓名情報

拠点から軍勢が出るとき、代表者と共に数名の架空武将が出陣します。その際に使用される姓名について、少し探ってみました。また、どこで使われているのかは不明ですが、高家専用の苗字リストも作成しました。ここのリストに自分の苗字・名前が載っていた方はスゴイ!!!

国人の難読・珍姓リスト(追加中)

ア行 宇津呂(うつろ)赤尾津(あかおつ)筌之口(うけのくち)生熊(いくま)大津留(おおつる)大神(おおが)潮田(うしおだ)大田代(おおたしろ)押切(おしきり)大条(おおえだ)小山内(おさない)乾(いぬい)一牛斎(いちごさい)新居(あらい)伊良子(いらこ)雄城(おぎ)安宅(あたか)有働(うどう)
カ行 鯉淵(こいぶち)小介川(こすけがわ)下司(げし)各和(かくわ)薦野(こもの)金成(かんなり)権藤(ごんどう)米泉(こめいずみ)来住野(くるすの)古徳(ことく)苅田(かんだ)閑馬(かんま)沓沢(くつざわ)加々爪(かがづめ)
サ行 千徳(せんとく)勝(すぐろ)勝蓮華(しょうれんげ)清水馬場(しみずのばば)新免(しんめん)匝嵯(そうさ)浄法寺(じょうほうじ)征矢野(そやの)志岐(しき)周参見(すさみ)秦泉寺(じんぜんじ)
タ行 丹下(たんげ)佃(つくだ)田布施(たぶせ)田矢(たや)道化(どうけ)大聖院(だいしょういん)富来(とみく)竹田津(たけだつ)
ナ行 成合(なりあい)南志見(なじみ)行方(なめかた)長瀞(ながとろ)根井(ねのい)野一色(のいっしき)
ハ行 比志島(ひしじま)幡鎌(はたかま)宝蔵院(ほうぞういん)
マ行 目賀田(めかだ)目瀬(めせ)牟久(むく)
ヤ行 余語(よご)山角(やまかく)湯(ゆ)鑓田(やりた)横小路(よここうじ)
ラ行 該当者なし
ワ行 和井内(わいない)稙田(わさだ)

高家の苗字リスト(追加中)

ア行 綾小路(あやのこうじ)、姉小路(あねがこうじ)、小倉、今出川(いまでがわ)、一条、大炊御門(おおいみかど)、五辻(いつつじ)、阿野、正親町(おおぎまち)、飛鳥井(あすかい)、小槻(おつき)
カ行 甘露寺(かんろじ)、近衛(このえ)、五条、烏丸(からすまる)、久我(こが)、九条、勧修寺(かじゅうじ)、北小路(きたこうじ)、河鰭(かわばた)、花山院(かざんいん)
サ行 四条、持明院(じみょういん)、三条西、薄(すすき)、西園寺(さいおんじ)、世尊寺(せそんじ)、三条、園、滋野井(しげのい)
タ行 鷹司(たかつかさ)、丹波(たんば)、土御門(つちみかど)、高倉、竹屋、富小路(とみのこうじ)、竹内、洞院(とういん)、徳大寺(とくだいじ)、田向(たむかい)、高辻
ナ行 二条、中山、西洞院(にしのとういん)、中院(なかのいん)、庭田、中御門、半井(なからい)
ハ行 葉室(はむろ)、東坊城(ひがしぼうじょう)、坊城(ぼうじょう)、平松、広橋、藤原、橋本、日野、藤波
マ行 町、雅(まさ)、松木、万里小路(までのこうじ)、水無瀬(みなせ)、松殿(まつどの)
ヤ行 山科(やましな)、柳原、四辻(よつつじ)
ラ行 六条、冷泉(れいぜい)
ワ行 鷲尾(わしお)

切支丹の名前リスト(追加中)

ア行 アンドレ、アンリ、エンツォ、アンリケ、エリオ
カ行 該当者なし
サ行 ソテロ、ジョルジ、シメオン、サンチョ、ジュスト、ジョアン、(シモン)
タ行 トマス、ダリオ、ディエゴ、ディニス
ナ行 該当者なし
ハ行 ヘレラ、ペドロ、ポルロ、フィリペ、パウロ、プラド
マ行 マテオ、マリオ、マンショ、マルコ、ミゲル、マルチノ
ヤ行 該当者なし
ラ行 レオン、ルイス、ロレンゾ
ワ行 該当者なし

 

朝廷の使者の代替り

諸勢力の中で唯一具体的な形のない「朝廷」。外交で使者を派遣しても朝廷の使者(武家伝奏)がひょっこり現れるだけで、朝廷自身のご尊顔は拝することができない。そんな謎の勢力「朝廷」に仕える使者たちの(ゲーム上での)代替りについて調べてみた。

名前 列伝 在職期間
勧修寺尹豊 公卿。権大納言・勧修寺尚顕の長男。武家伝奏。累進して内大臣に至るが辞任、出家して紹可と称した。 1534〜1550
勧修寺晴秀 公卿。内大臣。第107代天皇・後陽成天皇の母は晴秀の娘・典侍晴子(新上東門院)である。 1551〜1572
勧修寺晴豊 公卿。勧修寺晴右の子。大納言。武家伝奏。1582年、正親町天皇と誠仁親王の勅使として、信長の上洛を祝うために本能寺に出向いた。日記「晴豊公記」がある。 1573〜1599
勧修寺光豊 公卿。勧修寺晴豊の子。権大納言。江戸幕府初の武家伝奏。日記「光豊公記」がある。 1600〜1612
広橋兼勝 公卿。国光の子。内大臣。武家伝奏。本姓は藤原。「禁中並公家諸法度」を読み上げたことで有名。 1613〜1622
日野資勝 公卿。輝資の子。武家伝奏。1581年、侍従に叙任。以後、位階累進を重ね、1614年に権大納言に叙任された。 1623〜1700

参考文献:信長の野望蒼天録マスターブック・信長の野望蒼天録マニアックス・クロニック戦国全史(講談社・池上裕子他6名著)
参考サイト:風雲戦国史-戦国武将の家紋-・火間虫入道-信長の野望 蒐集者の庭-・歴史の館『東方不敗』・お城の旅日記・戦国浪漫・歴史散歩道・信長の野望オンライン 〜戦国案内所〜・蠣崎幕府・思文閣他

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